SaxophonePlayer佐川鮎子

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zoom RSS 父の日によせて

<<   作成日時 : 2007/06/18 01:00   >>

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父は戦前生まれの江戸っ子で私が生まれた頃はすでにサラリーマン、それから約5年程前まで経理担当としてバリバリ働いていました。
私が生まれる前は何をしていたのかいまいち謎のまま・・・(白衣姿の昔の写真も見たことがありますが)

小さいときから子供に大変厳しい父で、とてもじゃないけれど浅田真央ちゃんのCMのように「おとうさん」と話し掛けるなんてできませんでした
趣味はオーディオ。そして車。ジャズを聞くのが好きなのでです。

父の唯一の休日である日曜はまずポールデスモンドのテイクファイヴで始まる。続いてアートブレイキーのモーニン。この曲順はしばらくの間不動だったと思います。
その後どのくらいの時間かわかりませんが数曲流れます。

子供達にとってはつまらない時間で、当時子供部屋というのが特別無かったので、朝起きたらリビング兼オーディオ部屋でおとなしくしていなければなりません。レコードで聞いていたので暴れると針が飛ぶからです。スピーカーはブロックの上におかれていてブロックとスピーカーの間で弟と宝捜しをして遊んだりしたときは相当怒られました。

そんな中で朝イチのテイクファイブとは違った音色に「ん」と感じたのがテナーの音でした。多分ジョンコルトレーンのジャイアントステップスブルートレインだったか、もしくはソニーロリンズのサキソフォンコロッサス・・・

話し掛け易い父だったら「お父さん、この音何の楽器?」と聞けたのでしょうけど、怖いからイイやなんて思ってしまったために小学校にあがってもどのサックスも「テナーサックス」と思い込んでいた私。

学校といえば中学のとき、高校はピアノで音楽高校に入りたいと言ったら割りとすんなり受け入れてもらい毎週 東中野の先生のお宅へレッスンに通わせてくれました。一緒に引率した日も多数。ところが2学期になり受験したかった高校が当時学区外で受験不可と知り、その学校に行くことしか考えていなかった私は「高校行かない」と親を困らせた

でもそのあと中学校に市立柏高校吹奏楽部が演奏にやってきたのです。柏祭りでカッコいいビッグバンドを演奏していたあのイチカシ!しかも一緒に演奏させてもらえることになったのです。当時私はクラリネットでした。隣に赤いトレーナーのお兄さんお姉さん、そして指揮台に石田先生

感激して帰宅して「市立柏に行きたい」と話したら猛反対「どうしても行きたいっていうなら勝手にしろ!」まで言われてしまいました。
前向きだった私は「勝手にして良いって、良かった受験できる」と思ったのでした。
中学の担任の先生から「国際科というのが来年度からできて、推薦もとれそうだからこっちにしたら?」と言われ、父にそのまま話して「賛成したわけじゃないからな」と言われましたが何とか入学。

高校の部活は大変でクタクタで帰ってちょっとでも「あー,疲れたな」なんて言葉を父に聞かれようものなら大変「嫌ならやめなさい、お父さんは最初から反対だったんだから」といわれてしまう。ごもっともである。

ところが。市柏のコンサートはピーク時には毎週、多いときは一日に違う場所で2公演などになりますが父は日曜日にあるコンサートにはほとんど全部聞きに来てくれていました。
帰宅してコンサートについて特別なことは何も言いません。でも「次はどこでやるんだ」と言ったりします。

2年生の終わり、大学受験について話を切り出したとき。
私は私なりに市柏の音楽の先生になりたかったので4年制大学の音楽科に行こうと思っていました。ピアノで受験するにはちょっと厳しいと感じていたので、毎日何時間も吹いているサックスで、できれば音楽大学ではなく総合大学がいいなと。
進路室の大学案内や、なぜか自宅に送られてきていた「日本の音楽大学一覧」みたいなパンフレットを見て「日大芸術学部」に心は決まりました。

「とりあえず、また反対されるだろう」と思って父に話したところ「お父さんも日芸が良いと思ってた」と拍子抜けな返事。
まあ戦うことなく済んで良かった。
そして数日後 私は小串俊寿先生のお宅へ伺うことに。
スケールとラクールのエチュードを聞いていただくことになっていました。

私は市柏に入って学校のテナーサックスを手にしてそのまま2年生終盤を迎えていました。レッスンは中学時代の同級生から借りたアルトサックスで受けたのでした。
小串先生に現状を話したら怒ることなく「自分のアルトサックスを持たないとね」とおっしゃってくださいました。

帰りの電車で父になんて切り出そうかドキドキ・・・
でもはっきりといいました。父はわかっていたようで無事承諾。
なんと次の日には都内の楽器屋さんを調べ上げ手配まで完了させてくれた。早かった〜

日芸受験には市柏の先生方もたいそう心配してくださった。私は特別楽器が吹けるわけでもなかったし、英語も国語も足りないくらいだし、聴音だってだいぶ怪しい。
安心していられたのはピアノと楽典くらいだったかな。
でも学科に関して先生方は全力で力を貸してくださいました。

父は「一校しか受けさせない。滑り止めなんていらない。これで落ちたら音楽は諦めなさい」

・・・厳しかった。これ以外一切なにも言わない。レッスンにいっても「どうだった?」とも言わない。
だけれども、合格発表の日「受かった」と会社に電話をしたら「おー、良かったな」とこれは本当に喜んでくれたようだった。

私の方が先に家に着いたのですが、父は帰宅したら大きな四角い箱を下げていた。
手荷物が大嫌いな父がなんだろうと思ったらたくさんのケーキショートケーキ一式!といった感じでした。

嬉しかった。ホッとした。喜んでもらえて良かったと思った。

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